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​これまでの動き

1. 企業・財界の動き

 

 (1) 企業の都合で年金開始

古くは明治時代でも鐘淵紡績など少数の企業が欧米の制度を模範に独自の退職年金を導入
する企業がありました。しかし一般的には普及せず退職金制度があっても精々が一時金の支
給というのが通常パターンでした。

 戦後、企業の資金事情が悪化していた事情もあって1950年代に、多くの企業で退職金の企
業年金化が採り入れられ、社外積み立ての方式も始められました。

 1957年~1961年にかけて日経連(現・日本経団連と合併前)は税制優遇などの措置を政府に
要求し実現していきました。

 

(2) 財界の要求で厚生年金基金創設

 この頃から、国の厚生年金保険制度の給付水準引き上げが問題となりましたが、財界から
は保険料の負担が増大するのは困る、退職金制度との調整が必要、との要求が強まりまし
た。「調整」とは具体的にいえば退職金制度を企業年金化し、これを厚生年金の報酬比例部
分に充て、保険料負担の軽減を図るものでした。これには労働組合・労働団体・野党が反対。
当時厚生族だった橋本竜太郎衆議院議員が、これは企業で処理すべき問題だなどと国会で
批判発言する場面もありました。しかし、紆余曲折を経て1962年に厚生年金基金制度が創設
されました。

 その後二度にわたるオイルショックを乗り越え順調に発展、基金の加入者は12百万人を超
え、基金の積み立て合計額は80兆円に近づく額となり(1999年)金融市場にも影響を及ぼす存
在となりました。

 

(3) 企業負担増大で財界が次々要求

バブル経済崩壊後は低金利政策、長引く不況、就業構造変化などで運用環境、企業年金財
政の悪化が進みました。基金を作っている企業母体は資金拠出の負担やリスクの増大などが
高まり、更に積み立て不足明示など求める退職給付会計が始まり(2000年4月以降の事業年
度から)、企業は対応を必要とするに至りました。

この過程で日本経団連は次のような要求を政府に出して実現を推進してきました。

●給付の減額=制度創設時には想定されておらず法律にも規定がないた め、旧厚生省は
年金局長の通達で減額を認める例外措置を1997年に決 定。

●新制度の開始=退職給付債務の増大リスクを抑えるため確定拠出企業 年金法制定(2001
年)。

●負担軽減策=確定給付企業年金法の制定(2002年)で代行返上を可能と し、またキャッシ
ュバランスプランも導入可能となりました。

 ( 厚生年金基金の基金数、加入者数は減少を続けています。2010 年 3   月時点で厚生年
金基金の数は 608 、加入者数は 465 万人でありピー ク 時(基金数 1,883 =1997年3月、加
入者数 12,25 4 千人=1998年3月に比  べて、基金数は約 32%に減少し、加入者数は約 
38%に減少していま  す。)

                       

2. 銀行業界の動き

 バブル崩壊、不良債権処理増大などで銀行業界では大リストラ・人件費総額の圧縮が至上
命題となり、重大な出来事が相次ぎました。

 

● 幸福銀行=破綻でも減額は不可との判決

 幸福銀行はバブル経済崩壊後の業績悪化、1999年に事実上経営破綻。退職年金受給者に
対し、退職年金支給契約の解約と一時金(退職年金の3ヵ月分相当額)を支払う旨を一方的に
通知し、退職年金の支給を打ち切りました。これに対して「退職年金の打切りは違法無効であ
る」と提訴した207人の退職者が勝訴しました(2000年12月大阪地裁判決)。

銀行は退職年金支給規程の改訂権がある、と主張しましたが判決は「既に退職し退職年金を
受給している者には就業規則等を改訂してもその効力が及ばない」と判断。

 銀行が「経済情勢の変動で事情が変わったなど主張した点で、判決は「バブル経済崩壊とい
われる経済状勢の変動」等は事情の変更に該当せず、退職年金支給打切りの際の月額3ヵ月
分相当の支払いは、適正妥当な代償措置などとは認められない」などと明快でした。

 

● みずほ信託銀行=退職受給者が銀行を追及、断念へ

 03年3月、みずほ信託銀行・基金が20~30%程度の加算年金を減額するとの提案を約2千
人の退職受給者のもとへ送ってきました。4月中に説明会を実施し、5月に同意書をとりまとめ
る、という予定でした。高い減額率と早急過ぎるスケジュールに対し、一挙に不安と怒りが広が
り、退職受給者のなかに「年金問題検討委員会」が設置され、「給付引き下げは基金の責任
の放棄であり、受給権の侵害である」として問題点の整理、受給権者の意見がとりまとめられ
ました。

 説明会で、退職受給者は信託銀行員として培ってきた豊富な年金の知識を武器に、銀行・基
金側を質問攻めにして追い詰めました。そして最終的にOB親睦会会長が社長に会員の意向
を伝え、「引き続き検討を継続する」とし提案を取り下げることとなりました。その後、再提案は
されないまま今日に至っています。

 みずほ信託銀行の退職受給者の話では、「初めからすぐ反対という姿勢を表面に出さずに、
銀行・基金提案に対する疑問点、問題点を明らかにする取り組みの中で運動の輪を広げてい
ったことが、OB会の会長まで動かす力になった」といっており、今後の闘いにとってきわめて
教訓的だったと言えます。

 

● あおぞら銀行=組合が退職受給者の減額を要請

 あおぞら銀行は03年4月に、現役行員に対し年金給付利率を7%から5%へ引き下げることを
労使間で合意しました。これに際し従業員組合は、「現役だけが不利益を被るのは不平等だ」
として「退職者についても将来下げるよう、3年以内を目処に退職者の同意を得られるようにす
ること」を応諾の条件としました。

この条件履行のために銀行は、05年7月厚生労働省に「給付設計変更協議書」を提出し、退
職者の引き下げ協議を進めました。銀行は厚労省との協議を伏せたまま、これと並行して基
金が退職者向けに代行返上について説明会を開催。

 ここでは、りそな裁判支援者や知識ある人、「早期退職制度」により銀行を追われた人など
が銀行を批判。

この後、銀行は厚労省から「否定的見解が出された」と組合へ報告しました。この「否定的見
解」とは厚労省通達の引き下げ認可条件の一つ「真にやむをえない事情」に該当しないとの見
解と見られています。

こうしてこのまま立ち消えとなり、リーマンショック後は赤字決算が続きましたが、今のところ
「引き下げ」の提示はされていません。

 

● りそな銀行=不同意の退職受給者にも年金減額強行

03年3月期決算を巡って、りそな銀行の経営悪化・公的資金注入が問題となりました。財界人
脈でJR東日本副社長から6月にりそなHDトップに座った細谷氏は三割賃下げなど従業員に責
任転嫁の大胆なリストラ策を強行、さらにこの一環として、退職年金受給者にまで退職年金の
減額が不可欠と主張し、法令・厚生労働省通達に反するやり方で減額を強行しました。

(これ以降の詳しい経過、問題点などは別項で後述)

                  

 

● 都銀退職者=連帯して機敏に行動

 みずほ信託銀行、 あおぞら銀行、りそな銀行などの動きに対して都銀・信託銀行の退職者
は、今後同様の動きが出てくることを警戒して次のように出身銀行を越えて連帯する取り組み
を続けました。

■ 03年5月、都市銀行関連労働組合(都銀の関連企業で働く人達・銀行   退職者で組織)
の主催で「年金が危ない」学習会を開催。

■ 03年6月、都銀関連労主催で「雇用と年金を考える」学習会を開催。

■ 03年7月、都銀退職者有志が「銀行年金を守る会」(以下「守る会」)を設  立。

■ 03年8月、りそな銀行・基金が年金減額前提のアンケート調査を始めて  から守る会も活
動を本格化。

■ 03年11月、「守る会」は、りそな銀行の正式提案を予測して年金の制度  概要、減額の
法的不当性などについてシンポジゥムを開催。

■ 03年12月、「りそな退職年金引き下げに反対する会」がりそな銀行退職  者中心に結
成。■ 03年12月下旬、りそな銀行が正式に減額を提案す   るに及んで、「反対する会」「年
金を守る会」は諸々の反対運動を推進。  受給者への不同意呼びかけのDM作戦、厚生労
働省、国会への要請、   など展開。

■ 04年1月、銀行・基金が各地で減額提案説明会を開催。「反対する会」   会員が積極参
加。

■ 04年4月、りそなが厚生労働省に認可申請、7月に認可。この後、「反対  する会」は9月
に行政不服申し立て。05年2月に却下された後、審査内容  開示要請など「守る会」と共同行
動。

■ 05年6月、りそな銀行退職者11人が東京地裁に提訴。他行の退職者も  自分たち自身
の問題として共に闘おうと「りそな企業年金裁判を支援す  る会」を結成。

  以後、最高裁まで支援する会は原告団と共に諸々の取り組みを推進。

                        

■ 以上のような取り組みと前後して、04年、「反対する会」の役員と、NT  T、東京放送(TB
S)、松下電器、早大、法政大、などの退職者・原告たち  が「企業年金情報連絡会」を作り、
5月にシンポジュウムを開催。この後  「企業年金受給権を守る連絡会」に改称し05年2月、
年金減額で提訴ある いは運動している他団体と共にシンポジゥムを開催。法理論の面でも運
  動の面でも毎月会合し、相互の支援行動など続け今日に至る。

                       

                     

 

 

3. りそな銀行の減額を巡る経過と問題

 りそな銀行は、前述の幸福銀行の判例にも反し、都銀で初めて退職者に減額が強行された
ケースです。政府・銀行の出方、反対する運動も含めて振り返っておく必要性・重要性が、今
後のためにもあると考えられます。

 

(1) 銀行が減額へ動くまで

りそな銀行はバブル崩壊後の不良債権処理で業績が悪化していきました。

しかし、03年5月、大和銀行退職者の会合で頭取は「決算は無事乗り越えることが出来た、安
心して下さい」と挨拶したのに、一週間後に決算は否認され自己資本不足との認定へ急転しま
した。小泉内閣の圧力により急な税効果会計基準の変更を押し付けられたことによるもので、
03年6月に公的資金1兆9,600億円が注ぎ込まれました。

 

■ 新トップが現役と退職者を分断

経営陣の交代が行なわれ、財界人脈でJR東日本の副社長から転じてりそなHDトップに座った
細谷氏は、三割賃下げや将来の退職年金の減額など従業員に責任転嫁するリストラ策を強
行しました。次いで、現役行員から「退職者の年金も減らせ」などの声があるとして現役行員と
退職者を対立させる分断策に出ました。退職年金受給者も年金減額が不可欠と主張、銀行内
に世論をつくり、りそな銀行とりそな厚生年金基金は連名で説明書と、年金見直しに関するア
ンケートを受給者に郵送するなど一方的に施策を展開していきました。

 

■ 形だけの手続き

「どの程度なら減額は許容できるか?」と質問しながら、これらを纏めたと称する12月の具体
的な減額提案ではアンケート回答状況とは違い、平均13%(最大21.8%)の減額で、受給者の怒り
が広がりました。

銀行・基金は、減額に必要な手続きとして厚生労働省が通達で定めている説明会を04年1月
に各地で開催したものの、都合の悪いことは隠し、質問には誠実に答えず、「同意者が三分の
二を越えないと基金は解散する」と揺さぶりをかける誘導、恫喝的説明すら行ないました。

退職者の間では、年金減額をせずとも銀行は経営できるはず、と当初は反対意見が広がった
ものの、「基金解散で貰えなくなるよりは減額で我慢する」「減額に同意して一時金を貰う方が
得だ」との意向が増えていきました。こうして銀行・基金は減額同意者が三分の二を越えたと
表明するに至りました。

このような経過をへて、りそな銀行は運用利回りの低下と平均寿命の伸長を理由に、厚生労
働省に減額のための規約変更を申請。認可を得たとして04年8月企業年金の減額を同意しな
かった退職者にも強行しました。その規模は、平均13.2%、年額で約20万円から40万円の減
額でした。

 

■ 理不尽と不誠実

りそなの企業年金減額に至る経過には、理不尽な点が多々ありました。

不良債権処理を急いだ政府が先ずりそな銀行に白羽の矢を立てて資本注入を行ない、他行
への波及を進めたことに始まり、銀行としても減額強行のための不誠実な面やルール破りが
多々ありました。

実は、銀行側は、事前に金融庁へ提出した公的資金を受ける申請書で、従業員の年収カッ
ト、早期退職者募集、退職年金見直しを約束していたのです。そして、部店長に向けた内部文
書でも、年金減額でもって早期退職者の退職金上乗せ資金を捻出するとの通達を流していた
のです。

また、りそな銀行は、企業年金減額は、運用利回りの低下と長寿化で必要なものと述べました
が、長寿化一つとっても五年ごとに再計算を既に積み重ねており、どこの基金も対応済みのこ
とです。

さらに銀行・基金は

「減額が通らなければ基金解散の惧れもある」

「もし基金が解散すれば給付は6~7割になる」

と、脅しとも取れる説明を各地の説明会場でくりかえしました。

一方、厚生労働省へ減額のための規約変更申請理由では、公的資金返済のための経費削
減であると説明するなど、「二枚舌」を使っていたのです。

 

■ 行政通達にも反する

厚生労働省が減額の場合の条件として通達で示していた、三者協議(=銀行・現役加入者・退
職受給者の三者間の協議)を開催せず、原告たちから追及されて、「退職者の会の役員に説
明した」と言い逃れました。

説明会では質問に対して誠実に回答せずに予定時間を理由に打ち切るなど、厚生労働省が
通達で求めている"十分な説明責任を果すべき"という条件が満たされない実態がありました。

また、厚生労働省は「減額に同意した人だけが減額することも可。事前にその旨十分に説明
すること」という通達を04年3月に出していたのですが、りそな銀行・基金は黙殺したのです。
(実際に丸紅はこの通りに減額を同意者のみに実施)

                        

(2) 不同意者が提訴

こうした経過のなかで、不同意者にも減額したことを不服とする年金受給者11名が05年6月、り
そな銀行とりそな厚生年金基金を相手取り東京地裁に提訴しました。

原告団の提訴理由は、

①減額に同意していない受給者への減額は無効であること、

②退職時に確定した年金を事後に規約変更しても不同意者には及ばないこと、③企業年金を
減額する場合に条件とされる「真にやむを得ない」事情などなかった、という三点でした。

一審、二審は銀行・基金の主張を丸呑みした不当な判決で原告は敗訴しました。最高裁に上
告受理申し立てを行いましたが1年後の09年4月不受理となり、審理されることなく高裁判決が
確定しました。

 

                      

 

(3) 裁判で問うたこと

りそな企業年金の一連の裁判は、「厚生年金基金の解散でもなく、母体企業の倒産でもない
状況の下で受給者への減額は許されるのか」を問うわが国で初めての裁判で、次のような特
異な点がありました。

 

① スジの通らない理由

退職者にも兎に角減額強行という国策的結論が先立ち、りそな銀行・基金は前述のように減
額の理由付けは二枚舌でした。銀行自身、退職積み立て信託勘定を1千億円も保有していた
のに、追及されても通用しない弁明で逃げました。減額理由を、運用利回りの低下としました
が、信託部門で取引先の企業年金運用をしていた銀行としての能力と責任を問われる問題で
もありました。

 

②「やむをえない事情」なし

りそな銀行は03年3月期決算で、小泉政権のもと竹中金融担当大臣が進めた金融政策によっ
て不良債権の早期処理を迫られ、体力に余る処理で大幅な赤字となり、会計処理の変更も加
わって自己資本不足と認定され、公的資金注入へ追い込まれました。

しかし、りそな銀行は公的資金投入の前も後も債務超過に陥ったことはなく、従業員の働きで
稼ぎ出した実質業務純益は、04年3月期こそ一時的に2,600億円台に低下したものの、その前
後は毎期3千億円を超える利益を上げており、銀行が基金の不足金を拠出する能力はあった
のです。

また、りそな基金の財政運営は資金運用上、他基金とほぼ同様に利回りが低下していました
が、減額不可欠という緊急の問題はなかったのです。要するに、1997年の旧厚生省「通達」の
示す減額認可要件=「基金存続のための真にやむをえない」事情に当らないことは明白でし
た。

 

③ 経営責任の転嫁

りそな銀行は、自らの誤った経営や過度の不良債権処理で危機を招いた責任を棚上げして、
現役社員と退職者に犠牲を押し付けることが際立っていました。

 りそな銀行は、「銀行は受給者に、銀行自らが年金を払うという約束はしていない」「減額は
基金の問題だ」と主張し、自らが作った基金が別法人であることを理由に責任を取ろうとしま
せんでした。退職年金は就業規則・退職金規程に明示された労働条件であり、退職者に支払
うべき金額が確定した債務であることが明白なのに、銀行・基金の無法が不当にも一審、二審
では免罪されたのです。

                        

 

(4) 判決の不当性

 企業年金の改善は永年の労働者の闘い、都銀では市銀連の共闘で得られたものであり、受
給者の年金減額が退職後に基金規約の変更等により認められることになれば、現役労働者
にとっても将来の老後生活が不安定になります。そもそも、退職時に確定した給付の約束を合
意抜きに一方的に変更することは、約束・契約で成り立つ社会の基本を覆すことで、法治国家
では認められるものではありません。

 

① 筋違いな判決の論立て

  りそな企業年金裁判では、一・二審とも筋違いな論立てをしました。つまり、厚生年金基金
制度では給付の中身が公的な厚生年金と私的な企業年金という異なる二種類のものなのに、
厚生年金保険法が「年金たる給付」と規定するのみで、公的な厚生年金の代行部分と私的な
企業年金の加算年金を区別しておらず、たとえ原資が退職金であっても加算年金は企業との
契約ではなく、代行部分と同様に行政処分(行政の決定)であるとしました。  

② 最高裁も問われる問題

一方、最高裁は2010年3月、りそな銀行と同様に公的資金を受けた、もみじ銀行(広島市)の
「元役員退職慰労年金打ち切り事件」で、「契約の変更には、相手方の同意が必要であり、受
給者の同意のない廃止は認めない。これは契約の大原則である」と、高裁に差し戻す決定を
行ないました。

 最高裁判所が法の番人として、公正な法の適用により国民の生活、財産権を守るべき責任
があるのに、りそな裁判ではこれを放棄し、退職者の老後の生活基盤である退職年金の安易
な減額を許す判決を追認したことは、上記の「もみじ銀行」事件の判例に違反するばかりでな
く、憲法に規定する生存権・財産権を最高裁自らが侵害したものと言えます。

 

                                      2011年1月記

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